いかにブログで自分を悪く見せるか

これね、ブログ始めた時に思ったの。
「いかにブログで自分を悪く見せるか」
について。
絶対に必要な事だと思った。
そんで今に至るまで考え方は変わらない。

結構難しい思考の考え方なんです。
ブログ始めた時は33歳だった。
その年齢だから出来たと思うし、20代の時なら思いつきもしなかった。
説明書いてみる。

まず俺の考えた方の一つに
「相手の嫌な所を知って受け入れたらそれ以上相手への感情が下がる事はほぼない」
という考え方がある。

人が相手に対して冷める時って大体傾向がある。
多いのが
「思っていた人と違った」
「そんな話は聞いていない」
「嘘つかれた」
などのケース。

ここも難しい心理ではあるんだけど、人って相手に期待するのよ。
無意識に期待するんだと思う。
「自分はそうではない」
と思う人もいると思う。
うん、関係ない人には人は期待しない。
俺が今回書いてるのは
「自分と関係が深くなった人」
に対しての話。

ブログ読んで貰うとわかるけど
「依存」
についてそこそこ前に書いた。
人に期待しないタイプ、一人でいるタイプ、心を人になかなか許さないタイプって、相手が見つかると期待するようになるの。
無意識に決めつけるのよ。
自分の思うとおりの人のイメージを相手に重ねる。
期待するのね。
そして思ってたのと違う場合だと怒りが芽生えたり、感情が一気に消えていく。

「相手に期待するな」
と言ってるわけではない。
期待する事で相手が意気に感じて変わるケースもある。
「限度」
が大事だと思う。
この限度は非常に難しいけどね・・・・

期待されることは喜びにもなるし重荷にもなるのよ。
相手のイメージに合わせなくてはいけないプレッシャーにもなる。
そうすると自分の本音が話せなくなる。

性善説と性悪説ってある。
10代の頃にこの言葉初めて知った時に
「俺はどっちなんだろ?」
と思った。
「善ではいたいな」
とは思った。
でも常に善でいれる自信もなかった。

今思うのは
「善も悪も両方あるのが当たり前の人間の姿なんじゃないの」
と思う。
ごく一部の人を除けば人は誰でも善の部分持ってるし悪の部分も持ってると思うの。

悪い事考えるのは別に悪い事だとは思ってないのね。
ただその悪い事を実行するのは
「悪」
だと思ってる。
よく思うのは
「理性と自制心」
という言葉。
忍耐力とも精神力とも言うケースあるかと思うけど、この力が人としての力だとよく思う。

まだ読んでくれる人は若いから先の話だと思って読んでくれたらと思うけど、仕事を10年ぐらいやって、それなりに出世コースにいる人の場合は
「契約書」
「法律」
について判断しなくちゃいけない立場になるケースがある。
「読む」
ではないのよ。
「理解した上で判断する」
という立場。
この意味する所は
「この先トラブルがあったら全部自分の責任になる」
という意味合い。

契約書や法律とかを勉強するようになってしばらくするとよく思うの。
「これだけトラブルがあったり悪い奴がいっぱいいたんだな」
と。
「人の本質は悪である、だからそういう事が起きた時の為に契約書や法律がある」
とはよく思う。
そんでこういう契約書や法律作った人は
「悪い考えちゃんと持ってるんだな」
とも思うの。

悪い人の立場になって作ってるのね。
わかりやすく言えば
「悪い奴よりも悪い考えを持った上でその対処法として契約書や法律を作る」
というイメージ。
頭の中を悪くしないと想定は出来ないのよ。
悪い考えをシミュレーションしていく。

社会人になるとこの力は結構必要。
そうしないと対処できないのよ。
相手の言う事をただ全部信じる。
その結果騙される。
そして会社の大損害になる。
同僚や上司、部下全員に深刻なダメージを負わす。

ただ難しいのが
「警戒ばかりしてると人として最低な奴にもなる」
という事実がある。
揉めたくない、自分は助かりたい、という思いが強すぎると
「自分は関係ない」
という態度、表情になる。
無気力な人間になるのね。

葛藤しながら仕事していくのが正解なのかな・・・とも今でも思う。
ケースバイケースなんだけど難しいのよ。
相手を信じることでさらにうまくいくケースもあるし、信じたからこそその後トラブルになったりもする。
「さじ加減」
ではあると思う。
いまだに俺も正解はわかんない・・・・

つまんない話書きました。
説明する上で必要なので書いた。
話元に戻す。

俺は仕事では基本
「良い印象を相手に与える」
という意識で仕事してる。
なぜかと言われたら
「それがいいんじゃないの」
と思うから。
嫌な態度で接されるよりは感じ良い方が良いでしょ。

そのかわり自分の心の奥の本音は話すことはまずない。
数少ない仕事仲間にだけは言うけど、それ以外は完全に距離を置いてる。
だってさ・・・俺の本当の部分の一部はこのブログでしょ。
一言で言えば
「性暴力するのが趣味」
という性癖。
聞かれたら相手次第では言うのは別に問題ないけど、自分から言う事は一切ない。
なぜなら
「仕事において完全にマイナスになるから」
が理由。

仕事の人格みたいなのが長年働いてる事もあって出来上がってる。
それが仕事では基本。
どちらかと言えば個性を強く出すよりは
「個性を抑えてマイナスを出来る限り減らす」
ようなイメージ。
わかりやすく言えば
「ありきたり」
な感じにあえてしてるような感じ。
(時と場合によっては個性は出すけどね)

その方が仕事上手くいくのよ。
バランス取れた感じになりやすい。
ただ・・・・
「つまんねえな・・・」
と思う時はやっぱりある。
作られた自分で対応してる。
だから本当の姿ではない。

この出会いやるきっかけは色々あるんだけど、その一つがこれなのよ。
「自分を出したい」
と思った。
俺の心の奥底にある
「Sの性癖」
を出したかった。

Sの性癖はやはり言えないよ。
だって暴力だもん。
セックスの話自体話す割合少ないし話しちゃいけない話題でもある。
しかも俺は男だから女性に話したらセクハラになる可能性も高い。

言えなくて辛かったのよ。
でも言う機会がないと伝わる事もない。
そうすると今後俺はSの性癖出す事は一生なくなる。

「いやだ」
と思った。
自分の心の奥の叫びだった。
この時にパワーがブログやる力の一つになった。

そんでブログ書く内容考える。
悩んだよ。
正解もわかんないし、何書いていいのかもわかんない。
自分の性癖書くこと自体も自己嫌悪感ばかりある。

「さらけ出すしかないな」
と思った。
ブログの良い点は文章だけ。
文章だけだったら普段の俺の事は隠せる。

「本音書こう」
と思ったの。
まず俺が
「どういう事をしたいのか」
とはっきりと明確に書こうと思った。

俺が思ったのは
「付きあう事も結婚も出来ない関係」
「セックス前提の出会い」
「そんな関係だけど本当に女の子と仲良くなりたい」
だった。

「悪い奴だな」
と自分で思った。
この本音を文章にして自分で見た。
心痛かったよ。
そんなことしたこともなかったし、セックスだけの関係やってるような人たちは正直苦手なタイプだったし。

でも・・・そうしたかったの。
俺はそう思った。
でも動くには心の葛藤がいっぱいある。
今まで大事にしていた考え方を捨てなくてはいけない部分も多くある。

「悪い男になる」
と自分で口に出して言った。
自分の意志でね。
心に思っているだけだと人は動けない事も多い。
あえて口に出すの。
「悪い男にならなくてはいけない」
とも言った。
(今回のテーマから外れるからあまり書かないけど
「セックスしなくては死ななくてはいけない」
もよく言った。
追い込むしかなかった。
変われない部分変えるには覚悟が必要だし犠牲も必要。
今でもそうだけど
「セックスは甘いもんじゃねえよ」
と思ってる。
人生賭ける必要あるもの。
だからこそ人生が楽しくなると思ってる)

「ブログで自分を悪く見せなくては」
と思った。
仕事とは違う。
仕事なら表面上良く見せる事や対応は出来る。
でもこの出会いは俺の素の部分を知ってほしい。
でないと良い出会いになるとは思えない。

吹っ切ったんだよね。
悪い部分を出すようにした。
エロの内容でいえば、俺は首絞めるのもお尻叩くのも好きな男だと書く。
セックスの時に暴力振るう男の説明をした。
出会いの条件で言えば
「付きあう事も結婚することもない」
と書いた。
先の関係がないことをしっかり書いた。
女性に対しての未来の責任を負わない男と伝えた。

伝えるしかなかったのよ。
俺にとってそれは変えられない条件。
理由はある。
でもブログでは書けない。

書ける範囲の事は全部書く意識でブログ書いた。
女性にとって不都合な事も書かなくちゃいけないと思ったから書いた。
後で会った後に
「実は・・・」
と言うのは嫌なのよ。
それは騙してる感覚がある。
俺はこの出会いで心の関係はちゃんとした関係にしたかった。

それと最初に書いた
「相手の嫌な所を知って受け入れたらそれ以上相手への感情が下がる事はほぼない」
という所。
変な言い方かもしれないけど、俺の条件や性癖を知った上で女の子が会ってくれたら
「騙されてない」
となるでしょ。
会う前も会ってる時も会った後も俺のスタンスは変わらない。
そうすれば女の子の感情も下がらないんじゃないかな・・・とも思った。

「悪く見せなくてはいけない」
と思いながらずっとブログ書いてます。
いまだと俺は既婚者であるし40代男。
出会いにおいてマイナスな部分。
その事実は事実だから伝えなくてはいけない。

「俺は悪いんだぜ」
とアピールするような意味合いではないよ。
悪ぶるとか悪い自慢をするとかではない。
「短所をはっきりと伝える」
というイメージ。
俺の出会いにおける短所でしょ。
短所は普通なら隠したい。
なぜなら選ばれなくなるから。

逆手にとったのよ。
「短所伝える」
という方法をね。
というよりはそれ以外思いつかなかった。

この出会いでも仕事でも若い人によく言うんだけど
「長所は伸ばして短所は抑える」
という言葉をよく言う。
人ってほとんどの人が直らない短所ってあると思うの。
直す努力や行動は必要よ。
でもやってみた結果どうしようもない事ってある。

その部分を責めるのは簡単。
「間違ってる」
と言えばいいだけ。
でも・・・どうしようもない時もあると思うの。

ふて腐れるのや逆ギレはよくないと思う。
それよりは
「短所は出来るだけ抑えるようにしよう。
その短所をカバーするために自分の長所を伸ばそう」
という判断の方が人は生きやすくなるし人生楽しくなると思うのね。

俺はこのブログやってる事は短所です。
自覚ははっきりとある。
そんでこの短所をずっと嘆いていても仕方ないと思うの。
それよりは自分の強み、長所を伸ばしていく方が良いと思った。

強い長所は短所を消すときもあるのよ。
バランス良い人間より少し問題あっても、一部他の人にはないもの持ってる方が人から選ばれる時もある。
それに短所を自覚すると
「このままじゃまずい」
という焦りも生まれる。
短所しかないと人から選ばれないでしょ。
出会いでも仕事でもそう。

だとすると
「長所を理解して伸ばさないと」
という意気込みにも繋がる。
俺はそういう考えで生きてきた。

この出会いの条件は俺の短所です。
だからブログの記事書く時は俺なりに丁寧にわかりやすく一生懸命情熱込めて書いてる。
その部分が適当だったら人の心には響かないでしょ。
マイナスをプラスにするイメージ。
前向こうとする気持ちは大事だと思う。

ブログ書く前の気持ちを思い出しながら書いてみました。
あれから時間かなり経過したけど・・・今も基本的な考え方は変わってないな、と思った。

俺なりの出会いの考え方の一部書いてみました。

【ブログ書いてる人】 
にゃんだぼう